もっぱらの噂
もっぱらの噂、発動‐1
「美貌で世界が征服出来ると思うか?」
唐突なその麗人の問いかけに、傍らで書を広げていた男は顔をあげる。
時刻は既に昼過ぎであった。たまに城を訪ねてくるこの美人は、いつも可笑しな事を言う。
「それは、貴方が世界を征服する、という意味で?」
「んまぁ、単純に言えばそうだな」
確認のため聞いたのだが、返された言葉はあまりにあっけないものだった。
聞いた方はというと、面白くなさそうに緑の長髪を白い指で玩んでいる。男はその返答を反応なく受取り、さてどうだろうと笑う。しかし答えられた方は嬉
しい反応でなかったらしく、眉をひそめて男を睨んだ。
「どうだと聞いているのだ。お前ならわかるだろう、琥珀主」
それとも分からないのか世界の王のくせに、と、麗人は一気に男をせめたてる。
まぁまぁ、とそれをおさめてから、男は少し考えて口を開いた。
「そうだな、私は勝手に『世界の王』というものになれてしまったから、あまりそういう事は分からないのだけれど――多分」
「多分、何なのだ?」
男はその名の通り、琥珀色の髪を揺らして、にっこりと微笑む。
「この世界で傾国の美女と謳われる程の貴方様に、出来ない事などありましょうか」
女は、表情を変えないままで、寝台からだらりと垂らしていた腕を上げていた。その白い手を軽く振り上げて男を呼んでから、その麗人はにっこりと笑う。
「だからお前の言う事は、月並みでつまらないというのだよ」
そして美女は窓辺に手をかけ、ほうと一つ溜息をついた。
「その人」は現れた。
すでに時刻は六時を超えていた。最近出始めた街灯という代物は、比較的田舎であるこのあたりの村にはない。その中を、その者は足早に歩いていた。
泥が足にひっかかり、長い緑の髪には水がはねる。息は荒く、肩を上下させながらそれでも、旅人は諦めずに歩いていた。
やがてその苦労をねぎらうかのように、前方に明かりが見え始める。それは街の明かりだった。首都から少し外れ、穏やかな平原にある灰色の街――エ
ルバラーシュの。
そこでやっと、旅人は顔をあげる。被っているフードは旅人の顔を半分以上隠していたが、それでもその表情には歓喜が伺えた。
「失礼、失礼!」
旅人は大きくそびえる戸を叩く。
「門限を過ぎているのは分かっている。だが、どうか入れてくれはしないだろうか!」
声は高らかに響いた。向こうの門番にもそれは聞こえたのか、高い見張り台からひょこりと男が顔を覗かせる。
「なんだ、おまえは。もう門は閉まっているぞ」
「それは知っている。だが、夜に一人で外はきつい。そう思わぬか?」
門番は何も言わずに旅人をしばらく見つめた後、ふん、と笑う。
「この町が門について厳しいことを知らないのか? 日暮れからあとは、たとえ王侯貴族でも入れぬ決まりだ」
「私は一般市民だ」
「ならば尚更入れんな」
明日の朝まで待つんだな、と言い残し、門番は背を向ける。その背に、旅人はすがるように門に駆け寄り叫んだ。
「な、少し待て! 分かった。私の顔を見せてやる」
「お前の顔?」
消えかけていた人影がくるりと返り、再び旅人の前に姿を現す。
「ああ、ありがたく思え」
旅人は被っていた頭巾を取り、門番の方を見上げた。その顔は門番の全く知らぬ顔である。
――しかし。
「入れてくれるか?」
旅人は微笑み、門番はその手で傍らにあった銀色の鎖を引く。
そうして旅人は、灰色の街、エルバラーシュに迎え入れ
られた。